コロナ禍と対人援助職
久しぶりの投稿になりますがひとつだけ、いまこのときに書いておこうと思います。
新型コロナウィルス感染症が流行している中で、先の見えない苦しみの中に誰しも陥っていることだろうと思います。大なり小なり、何かしらのことを誰もが辛く思っているはずです。
正直なところ、先の見えない苦しみ自体はコロナ禍など関係なく、誰もが抱えうるもので、コロナ禍以前にも苦しんでいた人々はいて、そのような人たちは更に苦しんでいることもあるでしょう。
私が無責任に、なんとかなるよ、といったところでどうにもなりません。こればっかりは、人生というものをやっていくしかないのだと思います。
さて、コロナ禍で失われてしまったものを考えさせられるツイートを見たのがほんのきっかけなのですが、コロナ禍は人間らしさというものを削り取っていっている(進行形)気がします。
人間らしさというのは、人と人が関わることで得られたり、人間の制御外にある大きな存在を感じる機会を得ることで感じたりできるものだとここでは思っています。
人と直接会って話したり、演劇やコンサートを見に行ったりするような、生きていく上で必ずしも必要ではないようなものが、生きる幅をつくっていたんだなと改めて思います。
この生きる幅がもともと狭い人たちがいます。生きていく上で何らかの障害を抱える人々をここでは想定します。そのような人たちに寄り添おうとしているのが対人援助職の人たちです。このようなコロナ禍のときこそ対人援助職の大切さが増してくるのではないでしょうか。
今の私は対人援助職から遠く離れていますが、いずれは社会福祉士と精神保健福祉士の資格を活かしつつそのような職に就きたいと思っています。
今は介護施設や障害者施設でのボランティアが当然のことながら募集されていませんが、何とか福祉のジャンルに関わっていきたいです。
福祉関係に飛び込んでいくきっかけも狭められている今日このごろですが、必要とされている仕事であることには変わりはないので頑張ります。