光のきょうだいと闇のきょうだい
ここで言う「きょうだい」とは、兄弟姉妹(血縁義理関係なく)に障害者や難病患者がいる人たちのことを指す。
ケアラーとしてのきょうだいもいれば、自尊心を確立できないでいるきょうだいもいる。
親からケアラーとしての役割を期待され、その期待に納得できた人間は光のきょうだいだし、私のように受け入れられず社会に不適合を起こしている人間は闇のきょうだいなのである。
しかし私は福祉関係で働いているのでケアラーの立場に納得しているっちゃしているのかもしれない。その点、光と闇の境界は曖昧なのである。
「一人で悩むのはよそう」と、きょうだいの概念を作り集合体を作った方々は偉大である。ただ、その集合体である全国きょうだいの会は高齢化が進んでいる。
そんななか、若手きょうだいの会は全国各地に同時多発的に発生している。
その集合体たちのなかには光多めのところもあればつらみを分かち合いたい系もあると思う。
私は後者寄りだが……。そもそも社会性に乏しいのでこのつらみを分かち合うことはまだできずにいる。
それはともかく、つまりは、ケアラーとしてのきょうだい会と、当事者団体としてのきょうだい会は違うということである。
どちらがいいということではないので、ややライトに書こうと思ったけどそうならなかった……。